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どこまでパロディは許されるのか?フランクミュラーとフランク三浦

植村 貴昭
この内容を書いた専門家
元審査官・弁理士
行政書士(取次資格有)
登録支援機関代表

どこまでパロディは許されるのか?
フランクミュラーとフランク三浦

裁判の結果

フランクミュラーと、
それのパロディということで売り出していた
フランク三浦との間で裁判がありました。

結果は、フランク三浦側の勝利という事になりました。

しかし、実は
これはフランク三浦による時計の販売が裁判所によって
認められたということではないのです。

単に、フランクミュラーがある状態で、
「フランク三浦」を商標登録してよいかということで
争われたに過ぎないのです。

つまり、今回の裁判で示されたのは、あくまで、
フランク三浦は商標登録してよいですということに過ぎません。

不正競争防止法

そのため、フランクミュラー側が
今後、不正競争防止法及び商標権侵害にもとづいて、
差止・損害賠償の訴訟が起こされる可能性は高いということです。

そして、これらの判断は、
今回の判断とは別に判断されますので、
フランク三浦側が敗訴してしまう事態も十分に予想されます。

その結果、
フランク三浦の時計が差止をされてしまうとか、
損害賠償を支払うとかの可能性もあったりします。

今後も目が離せません。
ただ、どちらにしても、フランクミュラーさんの時計は一生買えないなぁ・・・、
お金は好きでも持ってないので。

タックスヘブン

ところで、今回この訴訟を追っかけて気がついたのですが。

フランクミュラーの本店って、
スイスじゃなくって、「イギリス領 バージン諸島・・・・」でした。

ここってタックスヘブンでも有名な諸島だなぁ・・・。

パロディについて

ここから先は、私見と皆様への問題提起になります。

パロディについて考えて貰いたいのです。
パロディは文化とか社会にとって必要なのか?ということなのです。

パロディというのは、
パロディをされた人にしてみれば、通常、好ましくない場合が多いです。

ある意味、商標権、著作権、肖像権等の法律の違反とすれすれのものです。
そうでなくても、パロティをされた人の感情を害する場合も非常に多いです。

そのような、パロティは許されるべきではないという立場もあります。

他方、人は何らかの模倣から思想・表現を始めるものである。
しかも、パロディがあることによってより楽しい社会になり、
文化は発展するという考え方もあります。
当然、法律に反しない範囲までをパロディというという事が前提の立場です。

どちらが、正しいのでしょうか。

人によってこの辺りは様々な立場があると思います。

個人的には、
私は、パロディは認めるべきだと思っています。
なぜなら、パロディは文化の発展には必要だと思っているからです。

権利にあまりにもうるさい社会になったら、
既得権者ばかりが有利になって、新しい活力は生まれないからでもあります。

皆さんは、いかがお考えでしょうか。

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©植村国際特許事務所 所長弁理士 植村貴昭