コラム(各種情報)

第24回 コンピュータプログラムは著作権で保護されているのはなぜか?

植村 貴昭
この内容を書いた専門家
元審査官・弁理士
行政書士(取次資格有)
登録支援機関代表

コンピュータプログラムは著作権で保護されているのはなぜか?

植村のコラム24

前回は、本のタイトルなどには著作物は発生しないという話をしました。
今回は、コンピュータプログラムが著作権で保護されている理由を
お話をさせていただきます。

 

ほとんどの国には、
それが機能しているか否かは別として特許法というものが規定されています。
そのため、コンピュータプログラムのような技術的なものは、
この特許法で守られているんじゃないかと皆さん考えると思います。

しかし、コンピュータプログラムは著作権で守られています。
(ただ、特許権で守ることもできます。)

著作権で守られていることは、コピーライトマーク(「?」マーク)が
コンピュータプログラムのパッケージなどに記載されていることからも確認できます。

しかし、本とか絵とか映画とかという、
文化的なものを守るための法律である著作権法で、
技術であるコンピュータプログラムを守るというのは本来おかしいのです。

また、例えば特許では出願から20年間しか守られませんが、
著作権では個人的にプログラムしたプログラムは
その人の死後50年間も守られます。

コンピュータプログラムは著作権で保護?

つまり、著作物の場合、
最大130年(20歳でプログラミングして、100才まで生きた場合)
ぐらい守られることになります。

大きな差があります。ではそもそも、特許法はなぜ20年間なのでしょうか。
それは、その20年間だけ守ってあげて、
その技術はその20年後以降は誰でも利用できるようにすることによって、
技術を進歩させるという目的があるからなのです。

そうすると、同じ技術であるプログラムも20年ぐらいしたら、
だれでも、基本技術として自由に使えるようにした方がいいと思いませんか?

20年ぐらい前のプログラムをそのまま組み合わせる、
又は一部をそのまま利用してより高度なプログラムを作るということが、
技術の進歩に役立つと思いませんか?

しかしながら、コンピュータプログラムを著作物としたことで、
これらの利用方法はできなくなっております。

なぜ、他の技術は特許法で20年間しか守られないのに、
プログラムだけはこれだけ長く守られるのでしょうか。

それについては、実は、歴史的な理由があります。
それについてお話させていただきます。

 

実は、プログラムを著作権で守るとは当初は考えられていませんでした。
著作物は文化的なもの用ということからすると当然です。
にもかかわらず、
プログラムを著作権で守るということが1980年代に急遽決定しました。

では何があったのかというと、
1980年代アメリカは、国内産業が疲弊しており、
何とかして国内産業を強くしていきたいとの思いがありました。
(レーガン大統領などでです)。

ちょうどその時、アメリカが独走していた産業分野がありました。
それは、コンピュータです。IBMがその代表格です。

アメリカは、そこに目を付けました。
今、有利なこのコンピュータ産業を最大限利用して
力を取り戻したいと考えていたのです。

ただ、既にある方法である特許権だとたった20年しか権利が得れません。
また、特許は各国の特許庁が認めるという仕組みであるため、
各国が重要な特許を特許としないという
恣意的に運用されて潰されてしまう恐れもありました。

 

そこで、頭の良い方が考えたのでしょう。
プログラムも人が考え出したものなのだから、著作物ということができるだろうと。

そして、著作物にできたならば、極めて長い権利期間が与えられるし、
著作権は審査が無く自動的に登録されるという仕組みなのだから、
各国の恣意的な運用もできないだろうと考えたのだろうと思います。

当然、各国はその意図に気づき、
プログラムは著作物ではないと反論したのでしょうが、
その当時は今よりも大きな力をアメリカは持っていましたし、
言うことを聞かなければ
他の分野で各種の制裁(例えば関税をかけられる)が予想されました。

そのため、各国はアメリカの言う通り
プログラムは著作物と認めることになったのです。

うーん、アメリカってすごいですね。

その政策の結果、アメリカはコンピュータに関する分野で、
いまだに圧倒的な強さを有しています。

 

正直、知的財産などで外国などの動きや歴史を見ていると、
国際政治には大義名分としての正義は存在していても、
それはあくまで大義名分であり、
その本質は各国のエゴとエゴとのぶつかり合いであるということが実感できます。

逆に言うと、我々の日本も、
大義名分を掲げつつ自国に有利に動き回らなければならないということです。
国際政治・経済は弱肉強食の世界であるということです。

個人的な意見を表明させていただくとすれば、
日本人は少し、世界を甘く見ていて、
正義とか、公平とか、思いやりとかが存在すると思っております。

しかし、現実には、悲しいことにそういう世界ではないです。
そのため、これからの日本人は
弱肉強食の世界の中で生き残っていく知恵と覚悟が必要だと思います。
特に、これから国内産業が弱くなって
世界の中で物を売っていくしか生き残れないという状態ではです。

 

さてさて、なんか、えらそうな話をしてしまいましたね。

次は、少し昔のことになりますが、小泉改革がありました。
そこでは知財立国ということばが使われました。
その小泉改革の際に、特許庁等の知財の現場で起きていたことをお話ししたいです。

以上

特許庁のHPはこちら