コラム(各種情報)

第25回 小泉内閣時の特許庁内第1変化、それは審査着手前に取下げたら、審査請求料の半額返し制度をつくったこと。

植村 貴昭
この内容を書いた専門家
元審査官・弁理士
行政書士(取次資格有)
登録支援機関代表

小泉内閣時の特許庁内第1変化、それは審査着手前に取下げたら、審査請求料の半額返し制度をつくったこと。

植村のコラム25

今回は、すこし昔話をさせていただきたいと思います。

私は、2000年から2006年まで
特許庁で審査官(補)として、働いておりました。

特許庁の審査官は国家公務員一種試験に合格したものがなる職場でしたので、
最初に、他の省庁の、同じく一種試験に合格した人との
合同研修が1週間程度泊まり込みでありました。

その当初の訓示ですが、ちょうど小渕首相が急遽お亡くなりになり、
その訓示が副総理(どなたか忘れました)によってなされたことを覚えております。

小渕総理のあと、森総理になりましたが、すぐに小泉総理となり、
世にいう小泉改革が始まりました。

 

その時の、特許庁の状況を記載したいと思います。

ただ、その当時私は、入庁したてのペーペーで、正直難しいことや
闇に隠れているようなことは一切知りませんが、
そのペーペーにもわかった範囲で皆さんにお知らせしようと思っております。

 

その当時、
日本は改革しなければ明日はないということが声高に叫ばれており、
不況を脱却するために変わらなければならない
ということが叫ばれる時代でした。

特許庁は、知的財産立国宣言とそれを実行する知的財産戦略会議に基づいて、
一躍、特許庁が注目されたのです。
この宣言は、知的財産権を最大限利用して
日本の競争力を取り戻そうというものでした。

それまで中央官庁としては三流だった特許庁が、一躍、注目官庁に躍り出たのです。

 

ただその時、特許庁は、
膨大な量の特許を裁かなければならないという状況に苦しんでいたのです。
つまり、特許の審査をしてくださいと申請を受けてから、
5年から6年しないと審査が始まらないという状況だったのです。

この状況に、知的財産戦略会議から、
当然ですが、どうにかしろとの強い圧力がかかりました。

そのため、特許庁内部で厳しいノルマ管理が始まりました。
それまで、膨大な仕事を積み上げつつ牧歌的な雰囲気があった特許庁が、
一気にギスギスしだしました。

また、沢山の件数処理をしたものが偉いという雰囲気が醸成されていきました。
もちろん、特許審査はそういうものではなく、質が大事という声も出ましたが、
それは、質を維持しつつ数ができるはずだという建前に押し切られました。

 

ただ、ノルマ管理とノルマの増大というだけでは、
5~6年分の特許処理を進めるには明らかに無理がありました。

そこで、特許庁は
審査請求された案件を取り下げさせるという政策に打って出ました。
大きな企業の知財担当者を呼び、
審査請求をしているものを取り下げさせるということを始めたのです。

それをしても、支払った審査請求料が返ってくるわけではなかったのですが、
どういって説得(!?)したのか、取り下げてもらって審査待ちの数を減らしました。

 

さらに、この方法を制度化して、審査の着手前に取り下げをしたら、
審査請求料の半額を返すという制度を作りました。
半額というところがせこいと思いますが、ともかく半額返すから、
ということで、同じく、大きな企業の特許担当を説得していきました。

特許審査着手前の返金制度

まあ、もっとも、5~6年も特許庁が審査できずに放置していたので、
その間に不要な技術などもあったところ、
既に審査請求してしまっていたものもあったのでしょうから、
企業にもメリットはあったのだと思います。

 

ということが特許庁内に第1の変化としてありました。
まだまだ、記載したいのですが、文字数の制限がありますので、次に回します。
では、次回をお楽しみに。 

以上

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