代表兼所長である植村家の歴史

植村 貴昭
この内容を書いた専門家
元審査官・弁理士
行政書士(取次資格有)
登録支援機関代表
有料職業紹介許可有
               

代表・所長である植村貴昭(植村家)の歴史

植村貴昭の家の歴史をお伝えしたいと思います。
(お爺ちゃん、お祖母ちゃんから聞いている歴史であり、
本当に史実として正しいかは、正直、私にもわかりません。)

もともとの本家

植村家は、土岐植村家といいまして、
清和源氏の血を引いていると聞いております。
(なお、2020年の大河ドラマの主人公である明智光秀も土岐源氏を名乗っています。)

植村家(wiki)

植村家は、源氏の系列であったと聞いております。

家紋は、植村菊一文字といいまして、天皇家と同じく、
下記の様に、菊の花が3本が、あしらわれています。

上記の紋ではwiki画像(下記画像)の剣の部分が天皇家と同じく菊をあしらっておりました、

他方、分家は菊を使わずに、代わりにwiki画像のように、剣をあしらっております。

なお、土岐植村家というように、
土岐あたりを本拠地に数百年間、家を維持していたようです。

本家はこの植村菊一文字を使っていたそうですが、
分家は菊を使うことができず、分家として、
菊の部分を龍剣(桔梗ともいわれます)をあしらっていました。

wikiなどのにも出ている、下図の植村龍剣一文字が使われるようになったと聞いています。

なお、この植村菊一文字の方については、
その後ほとんど歴史において出てきません。紋としてもほとんど見かけることはありません。

以下の歴史は、上記の植村龍剣一文字を使う分家の一族の歴史になります。
所長植村貴昭の歴史も、この分家から続いていると聞いております。

その後のご先祖様

その後に、植村家が世に出てくるのは、徳川家康の時代です。

その時に、徳川家(当時、「松平」)の家老として、植村家の名前は出てきます。

当時、植村家は剣豪で武門の家だったようです。

その為、徳川家本家の用心棒のような立場だったようです。

2人の主君(松平清康(=家康の祖父)、松平広忠(=家康の父))の暗殺の現場に同席した、
一族の植村新六郎氏明という人物がこの二度の暗殺の現場におり、
その二度とも謀反人をその場で切り殺しているということです。

徳川家康がまだ地方大名であった時代

その時、徳川家康(当時松平)の長男(松平信康)付として側近(家老)であったようです。

ただ、この徳川家康の長男は、
織田信長に謀反の疑いで自害させられております。
この話とは別に、信康が生母 築山殿と結託して父である、家康に謀反を図ったため自害させられたという説もあります。

このため、側近であった当時の家老植村家は責任を取り、
処分されたということです。

この後、植村家は三代将軍徳川家光の時代まで、ほぼ姿を消します。

なお、徳川家康家臣の重臣の本田忠勝の母を植村家は輩出しております。
(出典 ジャパンナレッジで閲覧できる『本多忠勝』の辞書
wiki本多忠勝

徳川家光は、ある日植村家の功績を認めて、
江戸城に呼び出したと聞いています。

その時には、かなりの貧乏生活をしたせいか、
一族郎党を全部合わせても、
40人にも満たなかったと聞いています。
身なりもかなり、みすぼらしかったことでしょう。

大名へ

その徳川家光によって、再度、譜代として家臣として取り立てられ、
その後、大名になったということです。

与えらえた、領地は大和郡山(奈良県北部)にあった、
高取城という、大きな城を与えられたと聞いています。

(その他の、高取城と植村家について)

なぜその地を与えられたかというと、この地は、奈良から京都に入る街道であり、
この地を守ることによって、奈良方面からの京都への道を守り、
京都の防衛を任せられたということです。
(後述しますが、現実に幕末に天誅組をこの地で迎え撃ったことは、
まさに役目を全うしたこ都になります。)

ただ、その当時の植村家の力は、2~4万石程度でしたので、
その城がとても大きく、維持に苦労したと聞いています。

その後、徳川の時代を経て、
大名の本家は、明治後には子爵の地位を得たとのことです。

私の家は、そこのさらに分家であり、
武士としての身分や帯刀はできたものの、家業は医者であった
と聞いております。

明治維新と植村家

植村家が歴史になお残すのは、
明治維新の際です。

植村家が高取城を与えられた理由は、前述のように京都への西からの脅威を守るためでした。
明治維新の際に、天誅組という組織を、
与えられていた大砲(ブリキトース)で撃退したとのことです。

これは、文久3年(1986年)におきた「天誅組の変」と呼ばれております。
この事件を題材に、司馬遼太郎が「おお、大砲」という短編を書いております。
なかなか面白い小説です。

ただ、一度このように、維新勢力をたたいてしまったため、
明治維新の際にはかなり恨まれていたということです。

私の曽祖父(ひいじいさん)

医者をしていた植村家の長男として生まれて、
家業を継ぐとはずでした私の曽祖父は、
なぜがぐれてしまっって、
清水の次郎長の子分となってしまったとのことです。

それがもとで、勘当され、家は弟が継ぎ、
地元にいられなくなってしまい。
子分とともに、北海道に開拓に入ったということです。

入った先は、愛別であり、
多大な功績を神社の碑に刻まれているそうです。

今度、地元に帰ったら、行ってみたいと思います。

ただ、この点については、別の裏話も伝わっております。
植村藩(高取藩)は、前述のように、維新勢力を撃退したものの、その後は維新側についております。
それを良しとしない、曽祖父は、実は、徳川方について函館にわたり、戊辰戦争最後の地である函館に渡ったものの敗れて、先ほどの愛別にその当時の部下と共に落ち延びたという話も聞いております。

正直、明治維新時の北海道は、そんなことも十分に可能な、滅茶滅茶な大地だったようです。
ゴールデンカムイという漫画をご参照ください)

お墓については、このページを見てください。

私の祖父

私の祖父は、その曽祖父の次男として生まれたそうです。

なお、長男は先祖の仕事である医者になり
ハルピン医科大学の学長になったそうです。

次男である私の祖父は、長男ほどの教育は受けられなかったそうですが、
理系の能力には恵まれたらしく、
満州当たりの測量等をしたり、船の機関長などを
していたそうです。

ただ、船長不在の時に、船が座礁してしまったらしく、
ナンバー2である祖父が責任を取って船を降りたとのことを聞いています。

その後、前述の測量時に見つけておいた、
いくつかの鉱山の経営をするということで、
家族(子供9人)を連れて
満州に開拓団として入ったそうです。

ただ、商才はなかったらしく、
雇っていた中国人にいいようにされ、豚の足などで、
ごまかされていたとのことです。

父の兄弟が大きく成って経営に関与しだして、
ちゃんと収入が入ってくるようになったところで、
終戦になって逃げかえってきたとのことです。

その後は、町内会長のような名誉職ばかりやっていたそうです。
私が生まれる少し前に亡くなったそうです。

私の祖父の奥さん

祖父の奥さん、つまり、私の祖母ですが、
森岡に住んでいた米内家の方だったそうです。

なお、米内家は、最終的に陸軍大将かつ総理大臣である米内光正を、輩出しております。

私が生まれて1年程度で亡くなったそうです。

私の父

私の父は、中学で終戦を迎えております。
全ての財産を、満州において逃げかえってきたため、
本当に貧乏だったそうです。

曽祖父は愛別で大きな農地を持っていたそうで、
それを頼って、旭川(愛別)へ戻ったそうですが、
不在地主だったため、そちらも農地を取り上げられており、頼ることができなかったとのことです。

そんな中、旭川北高に入学して、
ダントツの1番の成績だったそうです。

ただ、一日4時間しか寝ずに勉強をしたため、
結核(当時、不治の病)になってしまい、
高校を中退し、後は死ぬだけの病棟に入ったそうです。

何度も死にかけて、家族全員が呼び出されたそうです。

その時、たまたま発明された結核の特効薬で、
命をつないだそうです。

ただ、その時には、半分の肺が完全に死んでおり、
残った方も半分程度の機能しかなかったそうです。

いつも咳が止まらず、苦しんでいることを覚えています。

そんな父も、肺炎で私が30歳の時になくなってしまいました。
肺の病気で死ぬ場合には、麻酔等ができず、
本当に苦しそうでした。
数カ月に1回、何度も、肺炎を患い、死にかけたところ復活したのですが、最後にはなくなってしまいました。

父の墓(おじさんたちの墓)

母について

母の育ての父の墓

私の歴史

私の歴史は別途書かせていただこうと思っております。

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©植村貴昭(2020.11.20)

 

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