父方の資料集(札幌市 出塚 様からいただいた資料)
植村 貴昭 この内容を書いた専門家 元審査官・弁理士 行政書士(取次資格有) 登録支援機関代表 有料職業紹介許可有 |
札幌市 出塚( yuji0130d@yahoo.co.(以下、迷惑をかけないように省略) )様からいただいた資料(いただいた年 2022年9月16日)
第1弾
湊様、秀一様の従兄弟に当たる
植村外三郎氏(明治18年生、大正3年~昭和34年、上川町で村
などが残された本の中に
1.外三郎氏の長兄隆秀氏(軍医後鉄道医)の残された植村家の家
文徳天皇第四皇子人皇五十六代帝 清和天皇ーー貞純親王ーー続く
2.外三郎氏の長男肇氏(軍医後文部省調査官)の家系調査
大和15代家治の未亡人からの聞き取りなど
その他、ご親類の方々のエピソード等が記載されています。
複写ですが私が所持し続けても、如何なものと思い至り、
差し支えなくば、お贈り致したく思います。
如何でしょうか?
添付に在りますのは
大正7年 北海道在住愛知県人録に記載されている
植村瀧三郎様の写真です。
第2弾
⑴ 国立国会図書館デジタルコレクション
①愛別町史1969
コマ番号106~108 中愛別部落
111 愛知団体移住状況
200 誤 職員 正 村会議員 前列最右 瀧三郎様では?
209~211 大田龍太郎(柏林寺にある記念碑文を書いた)
298 柏林寺
313~314 中里小学校
447 植村商店
②移住者成績調査1906
コマ番号10~11 愛知県団体
(2)北海道大学北方資料データベース
石狩国上川郡団体移民状況報文/一色藤之助 明治33年
ページ50~58 愛知県団体状況
(3)春日井市ホームページ
市民生活ガイド〉文化スポーツ〉春日井の歴史と文化財〉文化財課
郷土史かすがい第80号
明治期における春日井から北海道団体移住(下)
2 愛別原野への入植
(4)JA上川中央ホームページ
広報誌 2014 No.81 ページ10 歩夢 第10回
添付写真説明です。
(1)愛知県庁文書 北海道移住民一件 明治26~28年
愛知県甲団結移住者規約 27/03/01
北海道庁ヘ添書下附願 27/03/17
北海道庁より電報 27/04/26
移住者出立人名簿 28/04/05
規約更生願 不詳
主に秀一様ネット閲覧可能の分です。
(1)国立国会図書館デジタル
①上川町史 1966
コマ番号594 植村秀一
②陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和8年9月1日調
コマ番号679
③満洲紳士録 1940
コマ番号257
尚、346に家治氏、119には澄三郎氏植村土佐守後裔と記載あ
④満洲紳士録 1943
コマ番号79
別写真、家治氏は48
⑤満洲工場名簿 1938
コマ番号165 造船機械工場主 植村 湊
工場名、所在地、職員数、開業年記載
(2)国立公文書館デジタル
植村秀一で検索
①叙位の件 昭和080401
9/81 叙従五位
②特旨叙位の件 昭和081026
5/8 叙正五位
8/8 叙位一件進達
(3)アジア歴史資料データベース
植村秀一で検索
①5/8 叙位 昭和081018
②1/1 北満特別公処長等赴日の件 昭和090327
③3/4 叙位 表紙目次
④3/25 叙位 大正120127
⑤9/81 叙位 昭和080227
(4)北海道立北方民俗博物館研究紀要J-STGE
16巻で検索
7番目の論文 北海道——-樺太調査関連資料について(1)をダウンロ
ページ04 筑後川丸機関長 植村 湊
10 機関長に面会
17 旅程 大正1207
(5)同志社大学学術リポジトリ
黒龍江省 室田武 で検索
依蘭冬紀行(2) 2003 を開く
番号17 4 満鉄三姓オイルシェール
番号20 昭和9年発見者 植村 湊
未確認ですが気になり加えています。
添付写真は
1.2 愛知団体開拓50周年記念碑 昭和19年 石狩市生振神社内
表 3行目 裏 最上段 瀧三郎様の記銘
3. 第七師団転地療養所建設記念碑 昭和3年 層雲峡紅葉谷入口
2行目 秀一様の記銘
↓の写真の最上段、3人目に、「植村 瀧三郎」(曾祖父の名前あり)
主に隆秀氏ネット閲覧可能の分です。
(1)アジア歴史資料センター
植村隆秀で検索
①寄附金受理の件 大正090615
②見習医官配賦の件 明治310614
③予備役一等獣医召集解除の件 大正080224
④植村軍医結婚願の件 明治320324
⑤第一篇 衛生状況(4) 不詳
(2)国立公文書館
植村隆秀で検索
①鉄道医植村隆秀免職 大正130726
(3)国立国会図書館
①日本紳士録 35版 1931
コマ番号846 住所 勤務先等
②上川町史
コマ番号487 村医
488 開業医
添付の写真 外三郎氏
1.県人録記載
2.道新 昭和34年3月15日
3.小平霊園 外三郎、肇達の墓碑